学に恋して 〜アカデミズムの扉を開く〜

勉強が趣味の一橋大学経済学部1年生が、日々様々な人から学んだことを綴ります。

2019年ノーベル経済学賞まとめ Part2

こんにちは!

ゆでたまごです。

 

前回から今年のノーベル経済学賞についてまとめています。

2019年の受賞分野は

開発経済学

これは、

発展途上国が抱える課題とその解決方法を分析する

学問分野でした。

 

そして今回のノーベル経済学賞受賞のポイントを3つにまとめると

①「開発経済学」の課題

②経済学での「実験」の導入

③経済学は、理論からエビデンス

になるのですが、今回のPart2では

①「開発経済学」の課題

を扱いたいと思います。

 

本題に入る前に、少しだけたとえ話をさせてください。私が幼いころから父がよく言っていた話です。

川で釣りをしていたら、遠くから飢えた人がやってきました。川の近くに住んでいるその人は、自分で食料を手に入れる方法を知らず、いつも飢えに苦しんでいるそうです。

この人を飢えから救うために、あなたはさっき釣った魚を与えますか?それとも、魚の釣り方を教えますか?

父は、この話を通して

「魚をあげたらその時はその人を飢えから救い、感謝されるけれども、ずっとその人に魚を与え続けることはできない。教えるよりあげるほうが簡単ではあるけれども、その人が今後自分で魚を取って生活できるよう、魚の釣り方を教えた方がいい」

という教訓を教えてくれました。

 

少し論旨はずれてしまうけれど、開発経済学の長年の課題もこの話に似ています。

 

つまり、

援助と自立どちらがいいか

という問いです。

 

途上国の抱える問題はまだまだたくさんあるのですが、そのうちの一つに

「子どもの貧困」

があります。

ユニセフによると、2013年には約3億5000万人の子どもたちが一日に1.9ドル以下の生活を強いられているようです。

(出典:https://www.unicef.or.jp/news/2016/0237.html)

また、蚊が媒介するマラリアなどの

伝染病

も未だ多くの人の命を奪っているという現状です。

 

貧困や伝染病などの途上国が抱える問題に対して、

「途上国は資金が不足し、インフラが整っていないせいで、経済発展しようがない。援助が必要だ」

という”支援派”と、

「無償で支援したものの価値は理解されず、結局使われないのでは?

市場を活性化させてその国の景気を良くし、自分たちで問題を解決すべきだ」

という”自立派"の二派に意見は真っ二つ。

まず援助をすべきなのか、長期的な視野で自立を促すべきなのか、

どちらが正しいのか長年決着がつきませんでした。

 

その結果どうなったかというと、地震や台風など

支援の効果が分かりやすい問題には資金が集まり、

支援の効果が分かりづらい複雑な問題には資金が集まらない

という状況になってしまいました。

 

確かに、災害の義援金とかは比較的集まりやすい感じがありますね。

しかし、特効薬的な対策は短期的には効果がありますが、持続的な成長が目的ではないというデメリットもあります。

 

貧困、病気、格差などの負の連鎖を断ち切るためには、また違ったアプローチが必要になるのです。

 

このように、開発経済学は長年の間課題を抱えており、決着がつかないままでした。

マイケル・クレーマー、エステル・デュフロ、アビジット・バナジーたち経済学者は、立ちはだかる大きな壁にどのように立ち向かっていったのでしょうか?

 

次回は

②経済学での「実験」の導入

を扱いたいと思います。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

次の投稿をお待ちください。

 

 

 

 

 

 

 

2019年ノーベル経済学賞まとめ Part1

お久しぶりです!

本日は私のブログに辿り着き、この投稿を見つけていただき、本当にありがとうございます。

このブログでは、毎日の生活での「学び」を中心に気になったトピックを綴っていくつもりです。良かったら読んでいってください!

 

今回から全4回にわたって、2019年のノーベル経済学賞を解説したいと思います。

私は経済学研究会というサークルに所属しており、週に一度くらいのペースで勉強会というのを開いています。

昨日の勉強会でのトピックがノーベル賞についてだったのですが、みんなに説明している時に、

これはブログに上げよう!

と思い立った次第です。

 

今年の受賞分野は

開発経済学

経済学もさまざまな分野がありますが、開発経済学

開発経済学(かいはつけいざいがく、英:development economics)は、途上国の経済問題を分析する、経済学の一分野[1]。貧困や飢餓、栄養失調、失業、低賃金労働、低教育水準、女性差別、乳幼児や妊婦の高い死亡率、HIVマラリアなどの感染病の蔓延、環境問題や水問題、汚職、貿易政策や債務問題など扱われるトピックは幅広い。

(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/開発経済学)

Wikipediaで説明されています。

開発経済学の「開発」は、途上国の経済開発を意味しているんですね。

日本に住んでいると実感が湧かないのですが、世界にはまだまだ貧困や飢餓に苦しんでいる人々がたくさんいます。

開発経済学

発展途上国が抱える課題とその解決策を分析する

学問分野であり、

さまざまな格差を解消するために効果的な方法を見つけるのがゴールになっています。

 

そして、この開発経済学の分野から3人の受賞者が輩出されました。

一人目は マイケル・クレーマー(55歳、米)

ハーバード大学教授で、RCTの先駆者です。

 

・・・RCT??

聞きなじみのない言葉ですよね。

この

RCT

という単語は、今回の連載のキーワードになります。

以後の投稿で説明します!

 

二人目は エステル・デュフロ(46歳、仏)

「貧困と戦うジャンヌ・ダルク」の異名を持つ彼女は、MIT(マサチューセッツ工科大学)の研究者です。

三人目は アビジット・バナジー(58歳、印)

デュフロと同じくMITの研究者である彼は、デュフロの師匠であり夫という関係です。二人は共同の論文を多数書いています。

 

そして、ノーベル経済学賞受賞の決め手となったのが

「貧困解消のための実験的アプローチにおける貢献」

だそうです。

 

今回のノーベル賞受賞のポイントを3つに分けると

①「開発経済学」の課題

②経済学での「実験」の導入

③経済学は、理論からエビデンス

となります。

 

次回は

①「開発経済学」の課題

を扱います。

 

実は、この分野がノーベル賞を受賞するのはなんと40年振りだそうです。

長年の間、開発経済学は課題を抱えたままでした。

その課題とは一体、、、?

受賞者たちはどうやってその課題と戦ったのか?

 

サクサク読めるよう、さっぱりと書いていきたいと思います。

次の投稿をお待ちください。

 

久しぶりの投稿~夏休みに入りました~

大変お久しぶりです。ゆでたまごです。

ここ最近、バイトにサークルにと予定を詰め込んでしまい、前回の投稿から1か月以上も経ってしまいました。

先週最後のテストが終わり、9月の半ばまで夏休みです。暇な時間も増えますので、春夏学期で履修した授業の復習がてら、色々と投稿を増やしていこうと思っています。

数少ない読者の皆様、私のブログ『学に恋して』は凍結したわけではございませんので、お時間のある時にまたご覧になってください。

今日は台風が来ているらしいですね、あまり天気が荒れないことを祈りますm(__)m

ハッピー度を測る?Part2

 

こんにちは。ゆでたまごです。

 

休日だというのに、今日もまたロージナ茶房に来てしまいました。今度は妹と。

f:id:mikaog0309:20180623133826j:image

日曜日のお昼過ぎだけあって、大賑わいでしたね。学生よりは地元の方が多く来ていて、みんなカレーとかパスタを小皿に分け合ってました。近くでお茶していた素敵な女性2人と、ひょんなことから仲良くなりました。いろいろなお話をしていただいて、とっても楽しかったです。ロージナでのいい思い出がまた一つ増えてしまいました。

 

そういえば、功利主義についての記事をほったらかしにしていましたね…。この前気づきました。哲学者は一生をかけて考え続けているので、やっぱりその理論は深くてむずかしめですね…。習いたての私が軽々とまとめ上げられるものじゃないですね、やはり。

でも、でも、なんですけど、気難しそうな哲学者たちが気難しそうな言葉で書いているから身構えちゃうけど、よくよく読んでいたら、彼らも案外みんな考えたことあるようなこと言ってたりとか。著書を読んでいる時、確かにそういうこと考えたことあるなぁって気づかされることも多いですね。

 

今回の功利主義も、いかにも難しそうだけど、外見ほどじゃないかもしれないです。見た目はメッチャ恐そうだけど、中身はいい奴、的な。いわゆる「ツンデレ」系でしょうか。もはや彼らのツンデレっぷりにギャップ萌えしちゃってください。笑  あとはこれを読んでくれている皆さんに私がその魅力を伝えられればいいんですけどね。

 

前回は、いっちばん最初に「功利主義」というアイディアを発明したベンサムの考えをなぞりました。ハッピー度(=効用)を足しちゃえ!!!嬉しさ度合いの合計が多い方が勝ち!終了!!

彼は「嬉しい」「悲しい」という感情を数字で測っちゃえ!そしたらみんなの「嬉しさ度合い(=

的な割と簡単な理屈。当時どれを選んだらみんなハッピーになるんだろう?と悩んでいたイギリスの政治家たちに受け入れられたのも納得ですかね。

 

 

だが、しかし。誰かがなんか言えば「それ違くない?」とか言い出す人がいるのがいつものパターンです。功利主義の場合は反発も大きかった模様。嫌う人もいる理由はなんだと思いますか?

 

功利主義の決定的な欠点。それは、

とりあえずみんなの「嬉しさ」を足しちゃうから、もしそのチョイスがめっちゃめっちゃ嫌な人がいても、他のみんながいいというなら無視されてしまう

事です。功利主義が世に出たのは18世紀の終わり頃。福祉なんて誰も考えてない時代です。ちょっとぐらい犠牲が出ても、結局トータルでメリットが大きい方にしない?そんな考えが普通だったのかもしれません。だって社会はまだまだこれから。いち早く発展することが最重要視されていたのでしょう。

 しかし、ベンサムが亡くなってから、当時の人々には思いもよらなかっただろう様々な変化が起こりました。例えば、今まで不当に扱われていた少数派がついに声をあげたこと。ここでは詳しくは書きませんが、功利主義の原則にのっとれば少数派は抑圧されてしまいます。ですから、少数派の人々の人権を守るためには、功利主義そのものを見直す必要が出てきてしまったのです。

 

ここまで3回にわたって功利主義について連載をしてきましたが、功利主義もほかの思想と同じくかなりControversialで、私自身いろいろなことを考える必要がありました。

功利主義に限らず、経済学は時に批判されることも多いですが、私が勉強して思ったのは、どの経済学者も社会を良くしようと本気だったということです。本気のメッセージだからこそ、何百年経った今もなお彼らの思想は活きつづけているのだと思います。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。これからもまだまだ投稿するつもりなので、ぜひ見に来てください。

 

 

 

 

ぎょうさんあるけん産業革命!Part2

みなさんこんにちは。ゆでたまごです。学園祭の疲れが抜けず、毎日ぼーっとして過ごしてしまいます。やばいやばい(´゚д゚`) 久しぶりの高校生気分で楽しかったんですけどね。

 

前回は、

同じ出来事であるはずの「産業革命」に対する評価が、時代と共に変わっていった

という内容でした。不十分なところも多かったので、もうちょっと詳しく説明しますね。

 

トインビーが「産業革命は社会に劇的な変化を起こし、分配の不平等といった格差の問題や環境問題などの悪いことも招いた」という産業革命ストーリーを最初に作り上げた後、1950年~1970年くらいに、今までとは違う見方をする人々が現れました。

その一人がクズネツです。講義の中ではクズネツ・カーブというのを習いました。(ウィキペディアで調べてもあんまり出てこないので、授業で扱った内容しかわからないんですけど…。)

クズネツ・カーブというのはですね、横軸に1人当たりのGDPGDP/人 と表します),縦軸に格差指数をとってグラフを描くと、1人当たりのGDPが低い段階ではGDP/人が大きくなるにつれて格差が広がっていくのですが、ある程度を超えるとGDP/人が大きくなると格差は縮まっていき、結局上に凸のグラフが完成する、というものです。

f:id:mikaog0309:20180614163607p:plain

 

自分で書いてても分かりづらいので、結局クズネツは何を言いたいのかというと、

 

産業革命によってたくさん生産できるようになると、確かに格差は大きくなる。

でも、経済が成長してもっとたくさん生産できるようになれば、格差はだんだん縮まるはず!!

産業革命◎!!

 

ということです。他にも、クズネツと同時代のロストウという人はみんながある程度頑張り続けると、飛行機がふわっと離陸するように、急に経済成長が起こるよーといったTake Offという考えを発表しました。

この2人の人物が言ったことに共通しているのは、産業革命を悪いものというよりはむしろいいものとして捉えているということです。

 

ここで時代と「産業革命」に対する評価をまとめると、

19世紀末~1920年代:社会が激変した。社会問題がわんさか起こった(悲観論)

1950~1970年代:産業革命のおかげで経済が成長した(楽観論)

というように、時代が移り変わるにつれて「産業革命」っていう歴史的な事実に対する評価も180度変わってしまいました。

ここで、講義を聞いている一橋生の中にも「ふ~ん、そうなんだ。てか眠い。」って人はいたと思うんですけど、じつはここからが本題なんですね。ほんとに前座が長くなりました。

教授が考えてほしかったのは、

なぜ時代と共に産業革命がいいものになったり悪いものになったりするの?????

という問いでした。

そんな問いは、今まで考えたこともなかったし(本当に歴史には興味が薄かったです)未知の世界ですね。私には。ただ知識を詰め込むんじゃなくて、こうやっていろいろ考えさせられるのが大学の授業っぽいなーと思います。

思ったより話が長くなっちゃったんで、この講義のハイライトは次回に回します。ちょっと待ってて下さい。

 

 

 

 

 

 

ぎょうさんあるけん産業革命!Part1

こんにちは。ゆでたまごです。昨日、一昨日とKODAIRA祭という名前の学園祭がありました。会場はいつものKUNITACHIキャンパスなんですけど、名前はKODAIRA祭なんですよねー笑 

一橋の新歓イベントもこれですべて終わってしまいました。ちょっとさみしいですけど、仲のいい友達がたくさんできてよかったです。

余韻に浸るのもつかの間、今日は普通に授業日でした。1時間目からいきなり授業が入っているので、

                                                 うわー朝早いーいきたくないー 

って思ってたんですけど、この授業は面白いので、頑張って行きました。「経済史入門」っていう授業なんですけど、理系でもわかるように先生が説明してくれるので、嬉しいですね。

やっぱり頑張って行った甲斐あって、なるほどーって内容の講義でした。ぜひ皆さんもお付き合い願います。

 

今日のトピックは「産業革命」でした。産業革命、、、。うーん、中学生以来やー。名前だけはうっすら憶えているけど、なんだったっけなー、、、と思っていたら、「産業革命のことを知らない人はいないと思うんですけど、一応説明しておきますね」と教授。グサッときましたけど、助かりましたー。

教科書で「産業革命」というと、

1760's~1830'sぐらいに、イギリスでいきなり工業が発達して、農村で暇してた農民がめっちゃ都市に流れ込んできて工場で働くことになった。これが近代の幕開けである。

的な感じですかね。ざっくりしすぎですかね、、、。で、この革命でどんな社会の変化があったのかというと、

1.縁のつながりよりお金のつながりが大事になって、金持ちの雇主と超ブラックな環境で働かされる労働者、という図式が生まれた。金持ちと貧乏の格差が広がった。

2.無計画にガンガン石炭を燃やすので、町じゅうが煙でもくもくになった

3.でも、工場のおかげで綿織物がいっぱいさっさとできるようになって、前より効率が上がった

みたいなことを習ったはずだそうです。うっすい記憶ですが、そんな感じだった気もします。

この産業革命のストーリーは、19世紀の後半にA.トインビーという人が最初に言い始めたものです。もともと当時のイギリスの人々は自分達が「産業革命」の真っただ中にいるなんてことは知らず、あとあとにこのトインビーさんが1760's~1830'sにイギリスで起こった工業の変化を「産業革命」とネーミングしました。

100年以上経った今でも、トインビーさんのストーリーはほぼそのまま教科書に載っているんです。すごいですね。

ところがどっこい。

この後の時代になると、同じ現象であるはずの「産業革命」を、違う風に解釈する人たちも現れました。

例えば、経済が発展していくにつれて一旦格差は広がるけど、もっと経済が発展すれば格差は縮まっていくだろうと言った人もいます。産業革命を悪いものというよりはむしろいいものとして捉えたんですね。

 

歴史はもう終わってしまった過去のことだから、事実として今も未来も変わらないはずでは?と高校生の頃は思っていました。ですが、2010年くらいの東大現代文で「歴史は事実として確定されたことの周りに、まだ確定していない様々なことを含んでいる」的な文章を読み、ふーん歴史って絶対じゃないんだー。って思ったのを覚えています。そして大学生になって、歴史の裏話的なことを勉強するんですよね。

今思えば、東大の現代文は大学で勉強することのイントロだったんですよね。分かりづらいし難しいし大変だったんですけど、大学生になったらもっと詳しく勉強しなければならないという、、、。受験生時代はそんなことは知らなかったから、それこそ知らぬが仏でしたね。笑

 

おっと。授業の内容に戻りますね。今回の授業で大切なのは、

産業革命マニアになろう!

ってことではなくて、笑

なんで”同じはず”の産業革命という現象も、時代が変わると失敗ってことになったり成功ってことになったりするの??

ってことなんです。

 

今度は歴史のストーリーそのものよりも、そのストーリーができたのはなんで?ってことにフォーカスしてみたいと思います。

では、次回をお楽しみに!

 

ロージナ茶房〜なぜか盛り上がる喫茶店〜

みなさんこんにちは。ゆでたまごです。先日、学校の帰りに友達と「ロージナ茶房」という喫茶店に行きました。

f:id:mikaog0309:20180604200214j:image

沢山の喫茶店が並ぶ国立の中でも有名なお店なので、この店名をご存知の方もいるかもしれません。国立駅南口を出て、一橋大学の西キャンパスへ向かう道の途中にひっそりと佇む隠れ家系のお店です。一橋生からは「ロージナ」の愛称で親しまれ、サークルやクラスでご飯に行く時の定番です。

そしてこの喫茶店、有名なのには理由があります。看板メニューは「ザイカレー」という名前のカレーなのですが、なんと味が独特という噂。ストレートに美味しいと言う人は少数派:(;゙゚'ω゚'):。しかも大盛りらしい、、、。

色々な噂がまことしやかに流れるように、なぜかずーっと人気なんですよね。そんなユニークな喫茶店に、友達と行ってきましたー。

 

メニューを開くと、やっぱり目にとまるのは「ザイカレー」の4文字。いつも通り「ザイカレー誰か頼もう」的な流れになります。そして、一人の男の子は、流れに乗ってザイカレーを注文。一同、盛り上がる。笑

他の子はパスタやドリアを注文。私は勇気が出ずチーズサンドイッチを注文しました。(弱気)

そして料理を待ちます。最初は雑談していたのですが、来ないので頑張って話し続ける。20分くらい経って、やっとカレーとパスタが出てきました。

噂通り、ザイカレーはご飯約1合の上に黒っぽいカレーがどーん!の大ボリューム。運ばれてきたパスタも、サイゼリ◯のパスタの3倍くらいありました。

そしてリアルに目の前に現れたザイカレーと、料理の多さに皆突っ込みをいれつつも食べ始めました。

初めてザイカレーを食べた子の一口目の感想は、「まあ、普通。辛いけどみんなが言うほどじゃないよ。」ふーん、そうなんだ。

ですが、その子は3分の1くらい食べ終わったところで「まだあるのー!?辛いよー」とか言い始めました。ザイカレー経験者の友達は「そこからが大変なんだよねー」とニヤリ。

そしてほとんどのメニューの量の多さゆえに、一同黙々とスプーンを口に運びます。

そして後半戦に突入。完全にカレーのスプーンが止まった友達は、まだまだ残っている白いご飯とカレールーを無言で見つめていました。その一方でなんとかパスタを食べ終えた友達は、達成感に満ち満ちた顔でその子を見つめます。空き皿が回収されていく中、残っているカレー。頑張れー、頑張れーというコールが湧き起こります。笑

友達はその後リタイアしてしまったので、サンドイッチじゃ足りなかった私が恥ずかしながら残りをいただきました。サンドイッチは大盛りじゃなかったんですよね。残念。

気になるお味は、辛くてすっぱい、独特なお味でした。カレールーってしょっぱいイメージなのですが、塩っけは全然なくて、スパイスが織りなす奥深い辛みと酸味が美味しかったです。ザイカレーの、最初の幸せな段階だけを味わいました。笑

食べ終わって時計を見ると、入店してから2時間近く経っていました。そろそろ出ようかと出口に向かう時、「楽しかったなあ」と自然に思います。カレーが辛かった友達も、パスタでお腹いっぱいの友達も、みんな幸せそうでした。

 

こんな風に、ロージナ茶房は突っ込みどころ満載なのに、毎回いい思い出をお土産にしてくれます。

楽しかったなぁ。またこのメンバーで来たいなあ。次はカレー食べないけどね(笑)。

帰路につく時の会話も自然と弾みます。

いつも楽しませてくれる、友達との仲も深まる。ロージナ茶房の人気の秘訣は、カレーみたいに一癖も二癖もありました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。経済の真面目な話ばかりでなく、ゆるい感じの投稿もしていきたいと思います。またご覧になってください。

では、また次回お会いしましょう。