学に恋して 〜アカデミズムの扉を開く〜

勉強が趣味の一橋大学経済学部1年生が、日々様々な人から学んだことを綴ります。

正義の女神Part 3

みなさんこんばんは。ゆでたまごです。

GWももうすぐ終わりですが、満喫していますか?私は今日高校時代の友達と原宿に行ってきました。お洒落なお店に連れて行って貰いましたー❤️

久しぶりの再会で、あっという間に時間が過ぎていきました。

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 見て頂きありがとうございます(笑)

 

ではぼちぼち前回の続きに入りますか、、。

正義の女神に目隠しは必要か?というクイズをもう一度考えて頂けたのなら幸いです。前回は知っていることをあえて隠すことで、公平な判断ができるという考えをご紹介しました。古代ギリシャの人々が一生懸命考えて導いただけあって、何千年も後になっても、理にかなっているなぁと思います。

 

でも、この講義を聞いて、「せっかく持っている自分自身の感覚なのだから、センサーとして活かしたい」という意見も出ていました。確かに、そうですね。

 

『正義のアイディア』を著したインドの経済学者、アマルティア・セン(Amartya Sen、1933年11月3日 - )は、女神の目隠しを外すべきだと主張しています。彼が重視しているのは、不偏性:impartiality 。判断をする時は、存在する全ての選択肢に同じウェイトを与えて判断するべきだ。そのために、私達はできるだけ多くの情報を見なければならない、そう教授は説明してくれました。前回のジョン・ロールズとは真逆の考えですね。センの理論のほうがジョン・ロールズのものよりもずっと難しいと教授は言っていました。なぜなら、できるだけ多くの情報をまっすぐと見つめなければならないし、しかもそのうえ、沢山の情報を元に”公平な”判断をしなければならないからです。

また、教授はもう一つのセンの考えを紹介してくれました。センは、”自存それ自体の平等化”を促進するために、世界中の教育水準の引き上げを唱えているそうです。もちろん体や、精神や、心はその人固有のもので取り替えることはできません。決して違う人を画一的に扱うということではありませんが、教育は、体、精神、心それら自体に働きかけます。教育は、self respectのありようを変えるものだから、教師の労働環境の改善や、教室をきちんと設けることなどによって、教育の質を向上させるべきだと言っているそうです。

センについてのこの二つの話題は、私にはまだ関連が良く理解できませんでした。特に、教育についての話は、読者の方々も文章のつながりが悪くて読みづらいとお思いになっていることと思います。大学1年生ですから、まだまだ未熟ですね。

 

3回にわたり連載させていただきました正義の女神シリーズも、これで最後となりました。「正義の女神に目隠しは必要か?」という問いに対して、まったく異なる2つの考えをご紹介いたしました。どちらも頭のいい人が考えただけあって、十分妥当性があったのではないでしょうか。ずいぶんうまくまとめられない、わかりづらい箇所も多かったと思いますが、それは私自身があまりよく理解できていない箇所です。これからいろいろな経験をしていくうえで、今回の話とつながるところがあれば、また追って投稿させていただきます。最後までお読みいただき、ありがとうございました。