学に恋して 〜アカデミズムの扉を開く〜

勉強が趣味の一橋大学経済学部1年生が、日々様々な人から学んだことを綴ります。

ぎょうさんあるけん産業革命!Part1

こんにちは。ゆでたまごです。昨日、一昨日とKODAIRA祭という名前の学園祭がありました。会場はいつものKUNITACHIキャンパスなんですけど、名前はKODAIRA祭なんですよねー笑 

一橋の新歓イベントもこれですべて終わってしまいました。ちょっとさみしいですけど、仲のいい友達がたくさんできてよかったです。

余韻に浸るのもつかの間、今日は普通に授業日でした。1時間目からいきなり授業が入っているので、

                                                 うわー朝早いーいきたくないー 

って思ってたんですけど、この授業は面白いので、頑張って行きました。「経済史入門」っていう授業なんですけど、理系でもわかるように先生が説明してくれるので、嬉しいですね。

やっぱり頑張って行った甲斐あって、なるほどーって内容の講義でした。ぜひ皆さんもお付き合い願います。

 

今日のトピックは「産業革命」でした。産業革命、、、。うーん、中学生以来やー。名前だけはうっすら憶えているけど、なんだったっけなー、、、と思っていたら、「産業革命のことを知らない人はいないと思うんですけど、一応説明しておきますね」と教授。グサッときましたけど、助かりましたー。

教科書で「産業革命」というと、

1760's~1830'sぐらいに、イギリスでいきなり工業が発達して、農村で暇してた農民がめっちゃ都市に流れ込んできて工場で働くことになった。これが近代の幕開けである。

的な感じですかね。ざっくりしすぎですかね、、、。で、この革命でどんな社会の変化があったのかというと、

1.縁のつながりよりお金のつながりが大事になって、金持ちの雇主と超ブラックな環境で働かされる労働者、という図式が生まれた。金持ちと貧乏の格差が広がった。

2.無計画にガンガン石炭を燃やすので、町じゅうが煙でもくもくになった

3.でも、工場のおかげで綿織物がいっぱいさっさとできるようになって、前より効率が上がった

みたいなことを習ったはずだそうです。うっすい記憶ですが、そんな感じだった気もします。

この産業革命のストーリーは、19世紀の後半にA.トインビーという人が最初に言い始めたものです。もともと当時のイギリスの人々は自分達が「産業革命」の真っただ中にいるなんてことは知らず、あとあとにこのトインビーさんが1760's~1830'sにイギリスで起こった工業の変化を「産業革命」とネーミングしました。

100年以上経った今でも、トインビーさんのストーリーはほぼそのまま教科書に載っているんです。すごいですね。

ところがどっこい。

この後の時代になると、同じ現象であるはずの「産業革命」を、違う風に解釈する人たちも現れました。

例えば、経済が発展していくにつれて一旦格差は広がるけど、もっと経済が発展すれば格差は縮まっていくだろうと言った人もいます。産業革命を悪いものというよりはむしろいいものとして捉えたんですね。

 

歴史はもう終わってしまった過去のことだから、事実として今も未来も変わらないはずでは?と高校生の頃は思っていました。ですが、2010年くらいの東大現代文で「歴史は事実として確定されたことの周りに、まだ確定していない様々なことを含んでいる」的な文章を読み、ふーん歴史って絶対じゃないんだー。って思ったのを覚えています。そして大学生になって、歴史の裏話的なことを勉強するんですよね。

今思えば、東大の現代文は大学で勉強することのイントロだったんですよね。分かりづらいし難しいし大変だったんですけど、大学生になったらもっと詳しく勉強しなければならないという、、、。受験生時代はそんなことは知らなかったから、それこそ知らぬが仏でしたね。笑

 

おっと。授業の内容に戻りますね。今回の授業で大切なのは、

産業革命マニアになろう!

ってことではなくて、笑

なんで”同じはず”の産業革命という現象も、時代が変わると失敗ってことになったり成功ってことになったりするの??

ってことなんです。

 

今度は歴史のストーリーそのものよりも、そのストーリーができたのはなんで?ってことにフォーカスしてみたいと思います。

では、次回をお楽しみに!